高齢の方の中には、「物忘れ」を心配される方が沢山居られます。
それは、ご自分の「物忘れ」が、認知症の始まりではないかと心配されるからですが、しばしば、その意味を勘違いしておられるために無用な心配をしておられる方が少なくありません。
今回は、健忘症の症状である病的な「物忘れ」とはどんなものかについて、考えてみましょう。
患者さんが訴えられる「物忘れ」の中で最も多いのは、人や物の名前が咄嗟に出てこない、ということです。
しかし、これは認知症でみられる健忘症とは全く関係ありません。
例えば、中学で同級だった鈴木二郎さんに久しぶりに出会ったとき、鈴木さんという名前が出てこずに困った、というような経験を持っておられるような方は少なくないでしょう。
そして、その鈴木さんと別れて数時間後に、ああそうだ、あれは鈴木二郎さんだった、と思い出すようなこともしばしば経験されるところです。
このような場合、あなたの脳は、無意識の中で、出会った人の顔や身なりから、数時間にわたり「鈴木二郎」という名前を探し続けていたわけです。
歳をとりますと、覚えておくべき人の名前、物の名前はどんどん増え続けます。
このように蓄積された膨大な名詞、固有名詞の中からただ一個の正解を見つけ出すということは、いかにすばらしい人間の脳といえ、段々時間がかかるようになってしまいます。
このような現象は、健忘症ではありません。
大体、そのように言葉が出なくて困ったという出来事をちゃんと記憶しておられるわけですから、次に述べる健忘症とは全く違うのです。
健忘症とは、確かに起こった最近の出来事を忘れているということで、例えば、1週間前に家族皆で温泉旅行に行ったことを覚えていないとか、今朝娘と一緒にデパートへ買い物に行った事を覚えていないといったことです。
近くのスーパーに行って、好きな納豆を買ってきたことをすっかり忘れ、帰宅するやいなや、また納豆を買ってきてしまうので、冷蔵庫の中は納豆で一杯になってしまうというような買いだめも、健忘症の症状です。
また、お財布やハンドバッグ、あるいは自転車の置き忘れ、銀行通帳や印鑑のしまい忘れも、よくみる健忘症の症状です。
大事な約束を忘れたり、戸締りのし忘れ、ガスや風呂のつけっぱなし、水道の出しっぱなし、電気のスイッチの切り忘れ、といったことも大変多い健忘症状です。
こんなことの連続で、家族の人たちは皆、困ってしまうのですが、ご本人は、そうやって忘れてしまった出来事そのものを忘れてしまいますので、ご本人に聞いても、私は物忘れなんかしたことはありませんよ、といわれるのが普通です。
ですから、病的な「物忘れ」の方は、ご自分から「物忘れ」を訴えて来院されることは殆どないのです。
しかし、言葉が出にくいという症状から始まる認知症の一種もありますし、明らかに病的な「物忘れ」を生じておられる方が、それを自覚しておられることも稀ではありません。
患者さんの訴えられる「物忘れ」が病的なものであるかどうかの判断に迷われるようならば、やはり専門医の判断を求められたほうが良いと思います。
ご心配であれば、神経内科を一度受診されてはいかがでしょうか。
岩田 誠